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秋田地方裁判所 昭和36年(わ)88号 判決 1965年2月13日

被告人 小川俊三 外四名

主文

被告人小川俊三、同佐藤陞、同高橋茂及び同橋村昭一をいずれも懲役六月に、被告人小林俊太郎を懲役八月に各処する。

但し右各被告人に対しいずれもこの裁判確定の日から二年間右各刑の執行を猶予する。

本件公訴事実中、被告人小川俊三が塩田晋に対し多衆の威力を示して暴行脅迫を加えたとの点並びに被告人高橋茂及び同橋村昭一が昭和三六年二月一二日知事公舎に故なく侵入したとの点はいずれも無罪。

理由

(被告人等の経歴)

被告人小川俊三は秋田鉱山専門学校卒業後一時大学の研究室に勤務したが、まもなく軍隊に入つて数年間海外で過し、復員後は先ず北秋田郡下の大阿仁炭鉱に約半年勤め、次いで商工省鉱山監督局に勤めたが機構改革に伴い秋田県商工部の職員へと身分が変り、その間大阿仁炭鉱労働組合執行委員となつたのを皮切りに労働組合活動に入り、全商工の役員や秋田県職員労働組合(以下県職労と略称)の中央執行委員等をした後昭和三〇年から県職労の専従員となり、書記長を経てから昭和三五年まで引続き副委員長を勤め、本件犯行当時は県政共斗会議の情報宣伝担当幹事をしていたもの、

被告人佐藤陞は、農業講習所を卒業後農事試験場や農業協同組合に勤めていたが、昭和三三年一〇月から秋田県の職員となつて山本郡下で農業改良普及員として勤務するようになりまもなく労働組合活動に入り、県職労山本支部執行委員、青年婦人部長等を経て本件犯行当時は県職労本部中央執行委員を勤めており、その後本部青年部長の役職に就いたこともあるもの、

被告人小林俊太郎は、永く海軍で軍隊生活を造り、復員後農地委員会や統計調査事務所などに勤めていたが、昭和二六年から秋田県職員となり、昭和三〇年頃山本税務事務所に勤務していた頃から労働組合活動に入り、県職労山本支部書記長を勤めた後、昭和三三年頃県職労秋田分会支部長となり、昭和三八年まで引続きその地位にあつたものであり、右被告人小川、同佐藤及び同小林の三名はいずれも本件起訴により休職となつて現在に至つているものである。

被告人高橋茂は、軍隊生活を経て復員後は建設会社に勤めたが数年後に会社が倒産したため失職し、その後しばらく友人のもとで働いたり建設省の道路工事に働きに行つたりしているうちに昭和二八年から失業対策事業(以下失対と略称)に入り、まもなく労働組合活動に入つて全日本自由労働組合(以下全日自労と略称)秋田分会書記長、全日自労秋田県支部書記長をそれぞれ四期にわたつて勤め、本件犯行当時は同支部委員長の地位にあつた関係で県政共斗会議の副議長を兼ねていたもの、

被告人橋村昭一は、小学校高等科卒業後国鉄職員となつたが終戦直後の混乱時に食糧管理法違反を犯したことから生活が乱れて国鉄を解雇され、昭和二四年頃失業対策事業に入つたが、適格を備えていなかつたりして永続きせず、不安定な生活を続けているうちに、失対事業現場の同僚のすすめにより一転して労働組合活動に入り、昭和二九年頃から全日自労秋田分会執行委員となり、本件犯行当時は同分会副委員長の地位にあり、昭和三八年からは同分会委員長兼全日自労秋田県支部中央執行委員となつて現在に至つているものである。

(本件発生に至る経緯)

一  「三者共斗」及び「県政共斗会議」の成立

昭和三〇年四月、小畑勇二郎は健全財政の確立と行政機構の改革という政策を掲げて秋田県知事に就任したが(以下同知事を単に知事と略称)、秋田県教職員組合(以下秋教組と略称)、同高等学校教職員組合(以下高教組と略称)、県職労の三組合は知事が人員整理や職員の労働条件の切下げという政策をとるものと判断し、これに対処するため同年五月、「教育と地方自治を守る三者協議会」(以下単に三者共斗と略称)を結成した。そして直ちに知事に対し、右三者に共通の問題につき種々の要求を提出し、その後しばしば知事との間に交渉を重ね、この間いわゆる大衆行動戦術をも採用するなどして、組合側の要求は県当局の施策に相当程度取り入れられたこともあつた。ところが昭和三四年、県職労は分裂し多数の組合脱退者を出したが、同組合の属する秋田県労働組合会議(以下単に県労会議と略称)はこれを知事による労働運動弾圧政策の現れであると見て、以後知事を支持しないという態度をとるに至り、知事と対決するため昭和三五年一二月には、県の労働政策によりその労働条件を左右される労働者の勢力を結集することが必要であるとして、従来の三者共斗の組織を拡大し、三者共斗の三組合の外に全日自労をも参加させた統一的組織「県政共斗会議」(以下県政共斗と略称)を結成するに至つた。県政共斗は、県労会議議長内藤良平を議長、傘下四組合の各委員長を副議長とし、他に事務局長一名、幹事六名(内一名は情報宣伝担当)をおき、これらの役員で構成された幹事会が県政共斗会議の運営にあたつていた。

二  三六年度予算に関する統一要求

県政共斗は、傘下各組合の従来から懸案となつていた諸要求事項を、昭和三六年度の県予算案に取り入れることを県当局に要求すべく、同年一月二〇日、定員、手当、補助金、失対労働者に関するもの等一六項目からなる「昭和三六年度秋田県予算に関する要求書」なる文書を県当局に提出し、その際、県政共斗の代表一二名が秋田県中村総務部長と面会して右要求書の趣旨を説明した上、右要求に対し、同部長の予算案査定終了前に、同部長の段階で可能な範囲の具体的な回答をするよう要求し、これに対し同部長は、その後県政共斗間と種々論議を重ねた結果同年二月八日右代表等に対し口頭で中間回答をしたのである。しかし県政共斗ではこの回答を不満とし、同月一〇日県庁において大黒屋総務部次長を介して知事に対し、直接県政共斗との交渉に応ずるよう要求した。ところが知事は県政共斗側の交渉員の人数を代表五名に制限する旨の意向を示してきたが、県政共斗側はあくまで代表一二名によつて交渉に臨みたいと主張して譲らず、結局同日中は右の点で話合いがつかないまま県政共斗と知事との直接交渉は実現しなかつた。かくしているうちに県政共斗側は予算案に対する知事査定が同月一三日まで行なわれ、その後政党との協議に入る予定になつていることを知り、少くとも同日以前に知事の回答を得る必要があるとし、翌一一日県政共斗傘下の組合員多数を動員した上、知事公舎(秋田市西根小屋町中丁一三所在、以下公舎と略称)において直接知事と交渉を行うことを決定した。

三  二月一一日の状況

知事は同日午前中から公舎において県予算案査定の作業を進める予定でいたが、同日午前九時半頃、県政共斗の申入れに基き、代表五名との面会を承諾した。そこで被告人小川、同高橋等五名が代表として公舎第二応接室に入り、先ず交渉の方式に関するいわゆる窓口交渉ということで、代表を五名から一二名にふやしてもらいたい旨知事に要求し、当初はこれを断わつていた知事も県政共斗側の強い要望に譲歩して代表を一二名にすることを承諾した。そして知事は右代表等に対し、前記要求書に対する回答を与えた。しかし代表等は、右の回答は前記中村総務部長の中間回答と殆んど同じであるとして、右要求書につき知事としての更に具体的な回答を示すよう要求した。

ところが知事は、そのような具体的回答は、予算案の査定をし且つこれについての各政党との協議を経て知事として県予算に対する全体的な見通しを得た後である同月一五日でなければできないと述べ、一方代表等は、政党と協議が終つてからでは予算案は事実上確定し、交渉上効果を期しえないとし、少くとも政党との協議前である同月一三日に回答してもらいたい旨主張し、結局双方の主張は、知事の回答の期日をめぐつて食い違つたまま平行線をたどり右一一日昼過ぎ交渉は行詰りの状態となつた。なお右代表等が第二応接室で知事と交渉を始めたころから、右代表等の呼び掛けで動員され、かねて公舎外で待機していた県政共斗に属する組合員数十名が、次々に公舎内に入り込み、右交渉に圧力を加えるべく、右第二応接室前廊下や第三応接室などに坐り込んでいた。かような経過の末、知事は同日午後一時頃から第一応接室で当日予定の県予算案査定の事務にとりかかつたが、県政共斗代表等及び組合員等は、右交渉の行詰り後もなお公舎内に踏み止つていたため、知事は同日午後三時頃、その頃公舎に来た前記内藤議長を通じて知事の意向を右代表等や組合員等に説得し、できるだけ早く全員を公舎外に退去させるよう試みたが成功せず、他方その後も右代表等は右内藤議長を加えて同日午後一〇時頃までの間に数回にわたり断続的に知事が予算案算定の作業をしている第一応接室に赴き、知事に対し同じような議論を繰り返し、一時は知事が前記廊下等に坐り込む組合員等の退去を条件にある程度の譲歩をほのめかしたこともあつたが、右代表等によつて右条件も受けいれられず結局前記交渉の行詰りは何ら打開されなかつた。そしてこの間廊下等に坐り込んでいた多数の組合員等は、同日夕方頃から次第に興奮し始め、床板を踏み鳴らし、労働歌を高唱し、「小畑を倒せ」などと怒号し、更には予算案査定の業務が行われている第一応接室の扉や壁をたたいたり、あるいはスクラムを組んで右予算案査定の用務で県当局者が第一応接室に出入りするのを妨害するなど、その喧騒状態は時間が経つにつれて激しさを増していつた。かくして知事等は、代表等により繰り返される執拗な要求や、廊下などにおける右のような喧騒状態に妨げられて、予算案査定事務を予定どおり進めることは殆んど不可能の状態に陥つた。

(罪となるべき事実)

第一、被告人小川俊三及び同高橋茂はいずれも県政共斗の代表の一員として知事と前記交渉を行うため、また被告人小林俊太郎及び同橋村昭一はいずれも県政共斗に属する労働組合の幹部として同組合員数十名と共に公舎内に坐り込んで右代表等を支援するため、それぞれ昭和三六年二月一一日午前九時三〇分頃、公舎内に立入り、引続き同日夜まで同公舎内に踏みとどまつていたものであるところ、その間右代表等と知事との話合いは同日昼過頃まで続けられたが、前記要求書に対する知事の回答期日のことで双方の意見が対立し交渉が行詰りとなるや、被告人等はじめ右公舎内の組合員等は、あくまで自己側の要求を貫徹しようとして、坐り込みをつゞけ、その挙句同日夕刻頃から右組合員等は公舎廊下において労働歌を高唱したり床板を踏鳴らしたり、或いは知事等が県予算案の査定を行なつている第一応接室の扉などを叩いたり、更には、小畑を倒せと怒号するなどの喧騒を示すようになり、一方右代表等もこれと呼応して数次にわたり、公舎第一応接室で予算案査定中の知事のもとに赴き、知事に対し堂々めぐりの議論を繰返したりしたため、知事等県当局側の予算案査定業務に関する著しい妨害となるに至つたことは前述のとおりである。よつて知事は同日午後八時頃、被告人等を含む県政共斗側組合員全員を公舎内から退去せしめることを決意し、同時刻頃右第一応接室において県政共斗議長内藤良平や被告人小川、同高橋等代表団に対して、交渉の打切りを宣し、県政共斗側全員が速かに公舎外に退去すべきことを要求し、次いで同日午後九時四〇分頃、重ねて同所において同被告人等に口頭で退去を要求すると同時に、秋田県総務部秘書課長栗山拾太郎をして同課長名義の退去要求書を右内藤議長に手交させ、更に同日午後九時五〇分頃、同課長を通じ、同県管理課守衛長武藤潔をして、被告人小林等多数の組合員のいる廊下の壁に、前記秘書課長名義の二〇分以内に退去せられたい旨を記載した西洋紙三枚大の退去要求書を貼付せしめ、最後に同日午後一〇時五分頃、同県総務部次長大黒屋栄一をして、公舎第二応接室附近にいた被告人橋村等数人の組合員に対し、口頭で一〇分以内に必ず退去してくれ、退去しなければ警察官を呼ぶ旨の厳重な退去要求をなさしめ、右被告人等四名においては、遅くとも同時刻頃までの間に、知事から退去を要求されていることを知悉したにもかかわらず、他の組合員数十名と共謀の上、同日午後一〇時一五分頃に至るもこれに応ぜず、もつて知事の管理する建造物たる同公舎から不法に退去しなかつた。

第二、被告人高橋、同橋村は、秋田県産業労働部職業安定課長塩田晋に対し、同課長が先に応能制賃金問題等につき同被告人等が属する全日自労との協定に違背した措置をとつたとして強い不満をいだいていたが、前記知事公舎に坐込み中の同月一一日午後九時三〇分頃、同公舎廊下において、同課長が同僚約二〇名と共に予算案査定事務のため第一応接室に入ろうとしたところを認めるや、同じく前記坐込み中の主として全日自労の組合員約二〇名と共謀の上、直ちに右組合員等と共に同課長の入室を阻止してこれを取囲み、更に壁きわまで押し詰め約二〇分間同所に立往生せしめた上、同課長の前記措置に抗議すると同時に、「文句があるような大きな顔をしている、ただでおくもんか」「暴力とはどんなものか見せてやろうか」「この野郎やつてしまえ」等と怒鳴り、あるいは肩、上膊部、肘等で同課長の胸、腹等を押したり小突いたり等し、もつて多衆の威力を示して同課長の身体に危害を加えるべきことを告知して脅迫すると共に暴行を加えた。

第三、被告人小川、同佐藤及び同小林は、前夜県政共斗所属の組合員が知事の要請による警官隊の実力行使によつて公舎から排除されたことに抗議すると共に、前記交渉の再開を引続き要求すべく、県政共斗の決定に基き、同月一二日午前九時三〇分頃県政共斗に属する組合員約二〇名と共に公舎に押掛け同玄関より廊下内に立入ろうとしたが、その際玄関において、予め知事から、同日は予算案査定で忙しく面会できないから組合員を公舎内に入れないよう命ぜられていた前記武藤潔、栗山拾太郎等からその旨告げられ公舎内への立入りを断わられたにも拘わらず、右組合員等と共謀の上、玄関附近で激しく押合うなどして、強いて右両名等約二〇名の県当局側職員の阻止を排除して、同公舎内に不法に侵入した。

第四、被告人佐藤、同小林は、右同日午前九時三〇分頃、同公舎玄関において、前記の如く同公舎内に不法に侵入するに際し、共謀の上、同玄関と廊下との境に取付けられている扉のうち南側の扉(縦一九六糎、横五八糎、厚さ三・五糎で上から一八糎下から三二糎の二箇所が、それぞれ縦約一二糎、横約一五糎の鉄製蝶番をもつて同所柱に取付けられている)にそれぞれ両手をかけて強くこれを玄関外側の方へ向けて引張るなどして同扉の下部の蝶番を該扉から分離せしめ、もつて秋田県が所有する建造物の一部を損壊した。

第五、被告人小林は、右同時刻頃右玄関において、前記の如く他の組合員約二〇名と共に公舎内に不法に侵入するに際し、同県秘書係長後藤孝一が同被告人等の侵入行為を阻止しようとしたことに憤慨し、「貴様何者だ」等と怒号しながら多衆の威力を示し、同人の胸倉をつかみ、強く引張つて同人の着用していたオープンシヤツの襟元を引裂き、もつて同人に暴行を加えた

ものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人小川及び同小林の判示第一及び同第三の各所為、被告人高橋及び同橋村の判示第一の所為並びに被告人佐藤の判示第三の所為はいずれも刑法一三〇条、六〇条、罰金等臨時措置法二条、三条に該当するので、各々について所定刑中懲役刑を選択し、被告人高橋及び同橋村の判示第二の所為並びに被告人小林の判示第五の所為はいずれも暴力行為等処罰に関する法律等の一部を改正する法律(昭和三九年法律一一四号)による改正前の暴力行為等処罰に関する法律一条一項、刑法二〇八条、二二二条一項(但し二二二条一項は被告人小林については除外)、罰金等臨時措置法二条、三条に該当するので各々について所定刑中懲役刑を選択し、被告人佐藤及び同小林の判示第四の所為は刑法二六〇条前段、六〇条に該当する。

次に被告人小川の判示第一及び同第三の各罪、被告人佐藤の判示第三及び同第四の各罪、被告人小林の判示第一、同第三、同第四及び同第五の各罪、被告人高橋の判示第一及び同第二の各罪、被告人橋村の判示第一及び同第二の各罪は、それぞれ刑法四五条前段の併合罪の関係に立つので、同法四七条本文、一〇条により重い、被告人小川については判示第三、被告人佐藤及び同小林についてはいずれも判示第四、被告人高橋及び同橋村についてはいずれも判示第二の各罪の刑にそれぞれ法定の加重をした刑期範囲内で、被告人小川、同佐藤、同高橋及び同橋村をいずれも懲役六月に、被告人小林を懲役八月に各処することとし、諸般の情状に鑑み、同法二五条一項を適用して右各被告人に対しいずれもこの裁判確定の日から二年間右各刑の執行を猶予することとし、なお訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書によりこれを被告人等に負担させないこととする。

(弁護人等の主張)

一、公訴権濫用による起訴の無効

本件各公訴は検察官が、知事の要請に基き、労働組合運動を弾圧する目的のもとに、正当な労働組合運動を犯罪として捜査し、しかも積極的な組合活動家をいわゆる「ねらい打ち」して起訴したものであつて、それは公訴権の濫用というべく、右の起訴行為自体憲法二一条、二八条、労働組合法一条、七条、地方公務員法五六条に違反するものとして無効であるから本件については公訴棄却の判決を免れない。

二、訴因の不特定による起訴の無効(公訴事実第一につき)

本件起訴状公訴事実第一には、四個の退去要求が並列的に記載されており、検察官は、この点につき包括して一個の退去要求があつたのであつて、個々の行為は独立した一個の退去要求ではない旨釈明するが、それならば(一)右のうち一個でも欠ければ適法な退去要求は成立しないのかどうか。(二)最後の大黒屋次長による退去要求があつて始めて適法な退去要求の完成があつてこれのみを攻撃防禦の対象とすれば足るものかどうか明確になつていないし、(三)検察官は、論告において個々の行為について被告人等の諒知関係を論じていることからみれば、その前提として暗黙のうちに四個の行為それぞれをそれ自体退去要求であるとしているようにも受け取れる。従つてどの行為が不退去罪の構成要件である退去要求に該当する事実なのか特定できず、被告人等としては攻撃防禦の対象がわからないから、結局公訴提起の手続が、審判の範囲を確定すべきことを要求している刑事訴訟法二五六条三項に違背し無効であるとして、公訴事実第一については公訴棄却の判決がなされるべきである。

三、退去要求の不存在あるいは無効(公訴事実第一につき)

(一)  知事の第一、二回目の口頭発言中、あるいは秘書課長名義の退去要求書には、なんら確定的に組合員等に退去を求めるという意思が客観的に表現されておらず、右は知事あるいは秘書課長の単なる希望の表明にすぎないから、不退去罪の構成要件たる退去要求に該当しない。

(二)  公舎の公用部分(第一ないし第三応接室及び附近廊下)は県庁舎の延長であつて知事の居住権の対象でなく、その管理は規則により県出納局長の所管に属すると定められている(なお該公用部分の光熱費暖房費なども県の負担になつている。)から、知事は公舎の公用部分につき管理権を有せず、またそれに基いて退去を要求する権限も有しない。従つて、仮りに知事が退去を求める意思を表明したとしても、それは正当な権限に基くものでないから退去要求としての効力を有しない。

(三)  秘書課長及び総務部次長には公舎公用部分について独自の管理権がないから、大黒屋や栗山の退去を求める発言も退去要求としての効力がない。仮りに知事及び秘書課長に管理権があり且つ退去を求める意思を表明したものとしても、大黒屋の右発言は知事の指示に基くものでないから結局無効であつて本件不退去罪成立の前提となるべき退去要求は未完成なものとなり結局存在しなかつたことに帰着する。

(四)  仮りに適法有効な退去要求が存在したものとしても、知事は午後一〇時すぎに第一応接室において、代表等と団体交渉を再開した事実があり、これによつて右退去要求はすべて撤回されたものというべきである。

以上いずれの点からしても、公訴事実第一の不退去罪は成立しない。

四、違法性阻却事由の存在

(一)  公訴事実第一について

県職労、秋教組及び高教組の三組合は、憲法及び地方公務員法五二条、五五条により県当局と団体交渉をする権利を保障されており、また全日自労(秋田県支部)も、憲法及び労働組合法にいう勤労者あるいは労働者であるところの失対労働者の団体であり、しかも使用者との間に集団的継続的対抗労働関係をもつものであるから、全日自労は失業対策事業労働者の労働条件を決定する権限を有し、あるいは事実上その労働条件の決定に影響を及しうる地位にある県当局と団体交渉をする権利を有するものと解すべきである。而して県政共斗の前記要求書は、いずれも県当局と団体交渉権を有する右四組合に所属する組合員の勤務条件に関する要求事項を内容とするものであるから、右要求書をめぐる県政共斗と知事との一連の交渉は正当な団体交渉権の行使にほかならず、本件二月一一日の交渉において主題とされた知事の回答期日に関する交渉もまた右団体交渉権の範囲に含まれる。

従つて知事をはじめとする県当局側においては右の如き団体交渉権の存在に対応して、県政共斗側との間に誠実に団体交渉をなすべき法律上の義務を負うものであるが、県当局は右要求書に対し総務部長の中間回答以来何等誠意ある回答を示さなかつたし、殊に知事は二月一一日の交渉において、同月一三日に前記要求書に対する具体的な回答を得たいという県政共斗側にしてみれば極めて当然の、しかも緊急の必要性のある要求にもかかわらずこれを終始理由なく拒否し続けたのであつて、かかる県当局側の不誠実な態度は明かに前記団体交渉応諾義務に違反するものであり、かような情況のもとで知事が一方的に交渉の打切を宣言し、交渉の相手方に対し退去を要求したりすることは許されないというべきである。然りとすれば、代表等が知事の右退去要求を拒否し知事に対し更に交渉の継続を求めたのは団体交渉権を有するものの行為として当然許されるべきことである。なお右団体交渉に際し、多数の組合員が知事公舎の廊下に座り込んだり労働歌を歌うなどしたことも、争議行為を禁止されている県職労、秋教組及び高教組、あるいは自己の労働条件を改善せしめるに有効な争議権を行使することのできない全日自労の組合員にとつては、団結の威力を示して労使の事実上の対等性ひいては団体交渉の実効性を確保するための唯一の手段であり、違法視されるべきでない。要するに被告人等が公舎から退去しなかつたのはいずれも前記の正当な目的を達するための相当な行為として労働法上許されるものであり、何等違法性がない。

(二)  公訴事実第三について

前叙の如く知事は二月一一日の交渉において、県政共斗に対し誠実に交渉すべき義務を果さず一方的に交渉を打切つたばかりでなく、その後警察官を導入して実力をもつて県政共斗側組合員を公舎外に排除したが、このような知事の措置は労働組合の団結権、団体交渉権を侵害する不当不法なものであるから、組合側が知事に対し、これを抗議すると共に中断された団体交渉の再開を要求できるのは当然である。よつて被告人等は県政共斗の決定に基き翌一二日右の各目的達成のため公舎内に立入ろうとしたものであり、その際県政共斗の代表者が右立入りの趣旨を申入れたにもかかわらず、前記武藤、栗山等がこれを当局側に伝えることなしに独断でしかも実力をもつて被告人等の立入りを阻止しようとしたために混乱を生じたにすぎない。従つて被告人等の二月一二日の公舎立入行為は違法性を欠くものである。

(三)  公訴事実第二について

前叙のとおり失対労働者の組合も県当局に対して団体交渉をする権利を有するが、団体交渉を行う場合、ストライキ権の行使によつては使用者に圧力を加え得ないという失対労働者の特殊性から全員による座り込みとか「全員団交」という戦術に頼らざるをえないし、また使用者側がともすれば失対労働者に団体交渉権を認めない立場から団体交渉を拒否することが多かつたため、予め時間を定めずに、交渉の相手方となるものに出会つた際緊急に団体交渉を開催するという形態をとることが慣行として確立されていた。ところで二月一一日夜公舎廊下における被告人高橋、同橋村の行為については、二月初旬頃から平板ブロツク工場において八段階の応能制賃金が実施されていたがこれが組合との協定に違背するものであるとして二月一一日午前中に全日自労と同工場の責任者である渡辺技師との間で団体交渉が開かれた結果、右の措置が塩田課長の指示によるものであることが判明したので、組合としては右応能制賃金の実施を完全に撤回させ従前の賃金協定を再確認させるため更に同課長との間で団体交渉を開くべき緊急の必要性があつたところ、たまたま廊下で同課長と出会つたので早速右の問題について話し合いをしたというのが実情である。従つて同被告人等の行為は、その内容、形態のいずれの点からしてもそれ自体団体交渉にほかならず、暴行、脅迫には該当しないし、たとえその間同被告人等の言動に多少粗野な点があつたとしても、正当な団体交渉権の範囲内の行為として許されるものである。

(主張に対する判断)

一、公訴権濫用について

団体交渉その他の団体行動は労働者の正当な権利として保障されているが、その行使には一定の限度があり、これを逸脱した行使が犯罪を構成するときには処罰を免れないことは後述するとおりである。そしてそのような場合、検察官は、犯罪を構成する疑いがあると考えれば法律に従つて捜査しなければならず、その結果証拠が充分であり且つ刑罰を科するのが相当であると判断すればこれを起訴しなければならないのである。本件についても公判廷に現れた各証拠を見れば、検察官は、被告人等多数組合員について犯罪の嫌疑ありと考えて捜査を始めたこと、及び起訴当時検察官としては多数の組合員の中でその行為が悪質であり且つ最も証拠が明白なのは被告人等五名であると判断したことについてはいずれも相当な理由があるものと考えられるのであつて、被告人等五名を起訴したことが殊更労働運動の積極的活動者を「ねらい打ち」したものとはいえない。また検察官が、本件の捜査や起訴について知事より不当な要請を受けたとか、また労働組合運動を弾圧する目的をもつて本件を捜査し、起訴したということも、本件証拠上認めることができない。もつとも本件の被告人等の行為に対する検察官としての法律的評価が被告人等のそれと異るのは明らかであるが、ある事実に対する法律的評価が人それぞれによつて異ることのあるのは避けられないから、そのことから直ちに検察官が労働運動を敵視しているなどと断定できるわけはないしそのような検察官の見解の当、不当は実体的裁判を通して明らかにさるべき問題であつて、公訴提起行為自体の適否に影響を及ぼすものではない。いずれにしても本件起訴が公訴権濫用であるとはいえないのであつて、弁護人等の主張は採用できない。

二、訴因の不特定について

公訴事実第一の記載及び検察官の釈明によれば、要するに検察官は、「知事は二月一一日午後八時頃から同日午後一〇時過ぎ頃までの間に同一意思の発動として自ら又は栗山秘書課長或いは大黒屋次長を通じて四回にわたり被告人等及び組合員等に対し公舎内から退去するよう要求し続け、被告人等において少くも右四回にわたる退去要求のうちいずれかを聞知したのに拘らず、右退去要求に従わなかつた」と主張しているものと解することができ、これによれば被告人等に対する不退去罪の訴因として何ら欠けるところはなく、審判の範囲の確定のため不足する点も見あたらないから、弁護人の、訴因の不特定云々という主張は採用できない。

三、退去要求の不存在あるいは無効について

(一)  小畑勇二郎、栗山拾太郎の各証言記載等を総合すれば、知事が一一日午後八時頃から同日午後一〇時過ぎ頃までの間終始被告人等及び組合員等に退去を要求する意思を有し続けていたこと、(ただその間一時廊下の組合員を退去させることを条件に交渉に応じてもよいような口吻を示しているが代表等がその条件に応じなかつた以上、全員に退去を求める意思が変らなかつたことは明らかである)。これに基き知事自ら二回にわたつて内藤等県政共斗の代表等を第一応接室に呼び口頭で「交渉は一切打切るから全員退去してもらいたい」旨伝えたことは充分認定できるところであり、右が単なる知事の希望の表明でないことは明らかである。もつとも退去要求書はいずれも栗山が、知事が退去要求を発したことを知りこれを更に徹底さすべく日本間において他の県当局側職員と協議の上作成したものであるけれども、知事としては予算案査定業務の執行中でもあるから、退去を要求するという基本的方針を打出すだけで右のような事後の具体的処置を秘書課長である栗山にゆだねたのは当然のことであるし、これを内藤に手交し、あるいは廊下にはらせるに当つては知事の承認を得ていることも右各証拠に照らし明らかである。また栗山が代表等に退去要求書を手交してもよいかどうか伺いをたてたのに対し、知事がそれを押えて先ず内藤を呼ばせたというのも、栗山を通じて手交するよりも、知事自ら代表に対し口頭でその趣旨を説明した上で手交した方がより効果的であろうという考慮に基くものと思われ、これらの事情はいずれも、知事が真意に基いて退去を要求したとの前記認定を覆すに足るものではない。

次に退去要求書には「公舎から退去されるよう要望します」と記載され、「要望」なる用語が使用されているが、しかし同時に「二〇分以内に」という期限が付されていることなどを考えると、右は二〇分以内に退去を求めるという確定的な意思の表明と見るべきであつて「要望」なる一語があることをもつてこれを単なる希望の表明とみることはあまりに形式的に過ぎ、到底賛成できる見解ではない。

(二)  当裁判所の検証調書あるいは捜査官の実況見分調書等によれば「知事公舎は主として知事及びその家族が私生活に使用する部分と、主として公務に使用する部分(第一乃至第三応接室及びその周辺の廊下等)から成つており、建物の構造上一応区別することができるが、右両部分は廊下等で接続して一体となつているのであるから知事及びその家族の占有居住の権利が一体となつた公舎全体に及んでいることは多言を要しない。ただ知事が公用部分で本件の如く公務を執つている時には公用部分の使用は知事及び家族の居住権に優先しているということができるので、その現象自体を捉えれば弁護人の主張する如く恰も県庁舎の延長ということができるであろうしその限りにおいて知事の公舎に対する居住権は後退していることとなる。

そこで、右のように公用部分が県庁舎の延長であるとした場合その秩序維持の面での管理者はだれかということにつき考察するに秋田県庁舎管理規則(昭和三五年秋田県規則第八号)によれば県庁舎の管理は出納局長の権限に属し、且つ各室にはその室内の秩序維持の責任者としてそれぞれ室管理者が定められることになつているが、知事公舎についてはそのような管理者は定められていないし、むしろ右規則は一般職員が日常勤務している県庁舎そのものを対象とするものであつて私人の居住権が保障されている知事公舎を本来規定の対象としたものではないと解すべきであり、他に公舎の管理者について明文をもつて定めたものは存しない。だとすれば、問題は条理に従つて解決する外ないのであるが、そもそも知事は県政の最高責任者として本来一切の県財産について管理権を有し、ただその行使を円滑ならしむるため右の如き管理規則によつて具体的な管理を部下職員に分担せしめているにすぎないのであるから、右の如き規則があるからといつて知事の本来的な管理権が排斥されるわけでもないし、具体的な管理者の定めのない場合には、殊に知事公舎のように知事自ら公務に使用している物についてはなおさら、知事が公的な立場において直接管理権を行使しうるのは当然のことである。従つて知事が右の如き管理権に基き、公舎内にいる者に対し、公舎内の秩序維持のため必要あるときは、退去を要求すべき正当な権限を有することは明らかである。

(三)  知事が右の如く公用部分について管理権を有する以上自らその権限を行使するに当り必要な具体的措置を他の一定の者に委ねうるのも当然である。従つて秘書課長である栗山は勿論のこと、大黒屋もまた総務部次長という地位からみれば、形式的には公舎について独自の管理権を有しないとはいえ、日常知事と接触し、その命に服し知事の職務執行を補助する立場にあるから、本件の如く知事が予算案査定という公務の執行の必要から公舎の秩序維持権を発動しようとする際には、いわば知事の手足としてその命により事実上そのための具体的措置として同人等自身において退去を求める旨の意思表示をすることができるのは当然であり、小畑の証言記載等によれば知事は栗山等部下に対し、組合員を退去させる措置をとるべき旨再々命じていたことが認められ、同人等もこのような知事の意を受けて前叙のような行動に出たものであることは明らかであるから、同人等がなした退去要求は知事自らがなした退去要求と同一の効力を有するものである。

(四)  知事が午後一〇時すぎに第一応接室で県政共斗の代表等と話しをしたことがあつたとしても、それは、代表等が知事のもとにいわば強引に押しかけて以前と同様の要求を繰り返したので、知事としても無下に回答を拒否したり力づくで押し返すわけにもいかず、やむをえず口頭で要求に応じ難いことを説得しようとしたにすぎないものと見うるのであつて、退去を求める意思が終始変らなかつたことは前叙のとおりであり、右の際の知事の言動によつて前記の退去要求が撤回されたと解することは到底できない。

以上いずれの点からしても、知事の退去要求は有効に成立し且つ本件不退去罪が成立する時点に至るまで存続していたのであつて、この点に関する弁護人等の主張は採用できない。

四、違法性阻却の主張について

(一)  公訴事実第一について

県政共斗自体が県当局に対し地方公務員法の規定などによる交渉権を有しないことは明らかであるが、県政共斗の代表者等で同時に県政共斗傘下の秋教組、高教組、県職労の各組合の役員たるものが、右各組合員の労働条件などに関し、地方公務員法により県当局に対し交渉する権利を有することは当然であつて、本件県政共斗の代表者等の知事に対する交渉も右交渉権の行使としてなされたものであると解せられないことはない。何故ならば、右代表者等の一部には、県の地方公務員の職員団体でなく、かつ県との間に使用者対被使用者たる関係に立つものの団体でもない全日自労秋田県支部の役員にすぎないものがいたり、右代表者等が提出した本件要求書中にも右全日自労の組合員に関する要求も含まれていたりするけれども、右要求事項の大部分は前記秋教組以下三組合の勤務条件に関するもので占められているからである。併しながら交渉権の行使だからといつて如何なる行動に出てもよいというものでなく、それには社会良識上からくる一定の節度、制限があり、殊に交渉なるものは言論による説得をその本質とするものであるから、交渉は何人も首肯しうるだけの平和的且つ秩序ある方法によつてなされなければならず、交渉が行詰つたからといつて、凡そ説得というに程遠い集団的喧騒をもつて自己側の主張を貫こうとしたり、又、話合いの行詰りを打開させるに足りる新提案を提出することもなく執拗に相手方に喰い下つて堂々めぐりの議論の繰返しを要求したりするようなことは許されないのであつて、かかる節度、制限ないし平和的方法を逸脱した交渉の要求は不当なものであつて、相手方においてこれを拒否しうるのは当然であり、かつ、それが犯罪構成要件に該当する場合には、交渉権を有するからといつて、その違法性が阻却されるものでないことも勿論である。

公訴事実第一についてみるに、本件各証拠によれば、県政共斗の代表者と知事との交渉は、判示のように二月一一日朝から始められたが、双方の意見は、県政共斗側において、判示要求書に対する知事の回答を県予算案に対する知事査定を終えた直後で、これについて知事と県議会諸政党との協議を経る以前の段階にして貰いたいと主張し、これに対し、知事側においては、右回答は県予算の内容に関するものであるから、予算案についての諸政党との協議も経て、知事として県予算案についての全体的な見通しを立てうるに至つた後でなければ、回答を与えることはできないと主張し、双方ともその意見を固執して、同日昼過ぎ頃すでに交渉は行詰つてしまつたこと、而して右回答期日について県政共斗側で前記のように主張するのは、県予算案についての知事と諸政党との協議がなされた後では県予算案が事実上確定し、その上で回答をえても交渉上の効果を期待しえないからというのであつて、県政共斗側の組合員の利益のみを眼中におくならば、その主張は一応もつとものように思われる。(但し、右主張中、知事と諸政党との協議の終了により、予算案が全面的に確定し、もはや県政共斗側の要求を予算案に反映せしめることが全然できなくなるというのは、小畑証言によれば、誤解にすぎないと認められる。)併し一方、県民全体のための県予算案編成の最高責任者として、たんに県の地方公務員或は労働組合側の利益のみでなく、これを包括した県民全体の諸利益、諸政策を総合考量して予算案を編成しなければならない立場にある知事として、予算案につき県民の代表者たる県議会諸政党との協議も経て県予算についての包括的、全体的な見通しを立て得るようになつた上でなければ、前示の回答をすることはできないと主張するのも、相当な理由があると認められる。然るに、右交渉の行詰りに当面するや、公舎内に坐込み中の県政共斗側組合員数十名において、判示のような労働歌の高唱、床の踏鳴し、知事に対する罵倒或いは予算案査定中の第一応接室の扉、壁を叩くなどの集団的喧騒を演じ、その代表者等また、これに呼応して何回となく、予算案査定執務中の知事の許に赴いて、堂々めぐりの議論をしかけて、査定事務を著しく妨害し、もつて自己側の主張を一方的に貫徹せしめようとしたのは、明らかに交渉権の行使について社会良識上要求される節度、制限を逸脱するも甚しいやり方であり、又平和的かつ秩序ある方法というに程遠いものであつて、事ここにいたつて知事が県政共斗側に対し交渉の打切りを宣言して、その全員の退去を要求したのは、当然の措置であつて、何ら不当な措置と認めることはできない。その他本件証拠に現われた一切の事情を考慮しても右退去要求に従わなかつた被告人等の行動に違法性阻却の事由を認めることはできずこの点に関する弁護人等の主張は採用できない。

(二)  公訴事実第三について

公舎の公用部分が県庁舎の延長としての性質を持つ場合があることは前叙のとおりであるが、ただその場合でも公舎の廊下は県庁舎の廊下などと異り、建物の構造上あるいはその使用目的などからみて、たとえたまたま玄関や門の扉が開かれていたとしても常時公衆の自由な出入りができるものでないことは明らかであるから、公舎内に立入るためには知事その他公舎管理権者の明示又は黙示の承諾を要するものと考えるべきである。(二月一一日には、知事は予め県政共斗の代表と公舎で交渉を行うことを承諾し、また他の組合員が廊下にすわり込むことについても当初はこれを黙認していたものと認められる。)

而して本件二月一二日には、知事が県政共斗との交渉には一切応じないという態度をとつており、組合員等を絶対公舎内に入れぬよう栗山等部下の者に厳命していたのであつて、組合員が右のような知事の意思に反して公舎内に侵入したものであることは判示の通りである。

そこで右侵入行為が果して違法性を欠くものかどうか、つまり故なく侵入したというに当らないものかどうかにつき検討するに、なるほど県政共斗所属の組合員が知事に対する抗議と交渉の再開を求めるという目的のもとに公舎に侵入したものであることは弁護人等主張のとおりであるし、抗議したり交渉の再開を求めたりすること自体は自由ではあるけれども、右の目的のもとに他人の管理する建造物たる公舎内に侵入したという場合には、その目的が建造物侵入という法益侵害をも正当化するに足るものであるかどうか更に具体的に吟味しなければならない。

先ず抗議のためというが、二月一一日夜の知事の退去要求が何ら不当なものでなく、これに応じなかつた県政共斗側組合員等の行為が不退去罪を構成することも明らかであるから、知事側において警察権の発動を要請してその退去を実現せしめたことも何ら不当な措置ではない。従つて本件二月一二日朝の知事公舎侵入の目的として、右警察権の発動の要請に対し抗議をするというのは何ら正当な目的たりえない。

次に団体交渉の再開のためというが、「職員団体の行う交渉に関する条例」(昭和二六年秋田県条例第七号)四条によれば、職員団体が県当局側と行う交渉は県の業務の正常な運営を妨げるものであつてはならないのであるから、知事が他の公務の必要から組合との交渉に応じ難い事情があり且つそれが正当な理由に基くときは、組合側としては最早や知事に対してその意思に反して交渉に応ずることを強要する権利はないものといわなければならない。ところで前掲各証拠によれば、二月一二日には知事は前日に引続き予算案査定事務を行う予定であつたこと、前日の二月一一日には知事が査定を中断して相当長時間にわたつて組合側との交渉に応じた結果査定は予定通り進捗することができず、且つ仮りに二月一二日に交渉を再開すれば更に査定が遅滞することが必至で、予め日程の定められている県予算編成事務ひいては県政全般に重大な支障を来すに至ることが予想されていたことが認められるのであつて、かかる事情のもとにおいて同日知事が組合側との交渉に応ずることを拒否したことは真にやむをえなかつたものというべきであり、県政共斗側があくまで交渉の再開を要求する権利はなかつたことに帰するから、交渉再開を要求するという目的があつたということは何ら本件建造物侵入行為を正当化する理由とはなりえない。いずれにしても被告人等の判示第三の公舎侵入行為をもつて違法性のない行為であるとする論旨は到底採用の限りでない。

(三)  公訴事実第二について

失対労働者の組合が県職業安定課長に対し団体交渉権を有するか否かの問題はさておき、仮りに右組合が団体交渉権を有し、且つその応能制賃金の問題が塩田課長との団体交渉の対象となしうべき事項に属するとしても凡そ団体交渉は説得と協議によつて労働関係の合理的調整を図らしめようとする制度であつて、それに「団体」という言葉が冠せられているが、それは団体の勢力を背景として交渉するの意味であつて、決して集団交渉を意味するものでなく、殊に多衆をもつて交渉の相手方を取囲み、一方的にこれを難詰したり抗議したりするような非平和的な手段を用いることは絶対に許されないところであり、また交渉を求めるにあたつては、予め相手方との間に交渉の日時、場所などを協議し相手方の納得しうる相当な日時、場所において行うべきであり、相手方が偶々他用で往来するのを捉えて不意に交渉を強要するというようなことは許されないところである。本件二月一一日夜公舎廊下における被告人高橋、同橋村等の塩田課長に対する行為をみるに、右被告人両名等は、いつどこでどういう問題について団体交渉を行うということを相手方たる塩田に対しては予め何の連絡もせずにたまたま塩田が予算案査定という別個の目的をもつて右被告人両名等のいる廊下を通りかかつた機会にいきなり多数の組合員と共に同人を取り囲んだものであること、右の取り囲んだものの中には組合の役員である両被告人だけでなく、一般組合員が多数同調していたこと、しかもその団体交渉と称する行為が実は組合員等が殆んど一方的に抗議の発言をしただけで、塩田の発言の多くは組合員等の浴せる罵声によつて封じられるような状況であつたこと(塩田の証言記載、記録一一四〇丁)、更に塩田課長の身体を押しつけたり、小突いたり、「大きな顔をしている、只でおくもんか。」「暴力とはどういうものか見せてやろうか。」などとの怒声を発するに至つては、それが説得と協議を本質とする交渉という範ちゆうを遙かに超えたものであり、塩田課長の身体に対する不法な有形力の行使そのものであるといつてよく、これをもつて正当な団体交渉権の行使であるというようなことは到底できない。もつとも弁護人等主張のように従来より失対労働者の組合では、緊急団交とか全員団交の名のもとに、右のような形態で交渉が行われるという事例があつたというのであるが、それは事実上相手方が承諾したためにそのような姿が結果として現われたというだけで、失対労働者の組合に限つてそのような形態の団体交渉が法理上認められるわけでない。いずれにしても右両被告人等の塩田に対する行為は、何ら団体としての統制を伴わない単なる大衆行動にすぎず、特に法律が労働者の正当な権利として保護している行為に属しないから、その際暴行、脅迫が行われれば当然違法なものとして処罰を免れない。被告人等の塩田に対する行為が正当な団体交渉であることを前提とする弁護人等の主張は失当であつて採用できない。

(一部無罪の理由)

一、被告人小川に対する公訴事実第二は、「被告人小川俊三、同高橋茂及び同橋村昭一は、二月一一日午後九時三〇分頃、前記知事公舎廊下において、秋田県産業労働部職業安定課長塩田晋が同僚二十名位と共に予算査定事務のため、同公舎第一応接室に入ろうとしたところ、これに対し、前記組合員四〇名位と共に同課長の入室を実力をもつて阻止したが、その際同課長を認めるや、共謀の上、直ちに前記組合員のうち二十名ぐらいと共に同課長を取囲み、「こいつが一番悪い奴だからやつてしまえ」「文句があるような大きな顔をしている、ただでおくもんか」「暴力とはどんなものか見せてやろうか」「この野郎やつてしまえ」等と怒鳴り、あるいは肩、上膊部、肘等で、同課長の胸、腹等を押したり小突いたり等し、以て多衆の威力を示して同課長の身体に危害を加えるべきことを告知して脅迫するとともに暴行を加えたものである。」というにある。そして検察官の起訴状に対する釈明によれば、被告人小川はその際「こいつが一番悪い奴だからやつてしまえ」と怒鳴つて脅迫したとされている。

然して前掲各証拠によれば、被告人高橋及び同橋村が、右塩田課長を約二〇分間というかなり長時間に亘り多数の組合員と共に取囲んで殆んど脱出不可能の状態にとじこめ、この間塩田に対し公訴事実記載のような脅迫的言辞を浴せ暴行を加えたこと、然して被告人小川が、同課長を取囲んだ全日自労の組合員多数の後方におつて、同課長の方に向つて「こいつが一番悪いやつだからやつてしまえ」とか「お前がこのようにされるのは当り前だ」というようなことを発言していることが認められ、そうだとすれば、同被告人も被告人高橋、同橋村等と共謀して多衆の威力を示して同課長に暴行、脅迫を加えたといえるのではないかと一応疑われるところである。然しながら、本件各証拠を検討するも、被告人小川がいついかなる時期に右のような取囲みの後方にいたか、また何分ぐらい同所にとどまつていたのか明確でない。もつとも、塩田、佐々木の証言によれば同人等が査定室の前まで行つたころ同被告人が廊下にいたことは認められるが、これとても組合員等が産労部長等の入室を阻止しようとしていた時のことにすぎない。寧ろこの点については、同被告人が県政共斗の代表の一員であつて同時刻の前後には第二応接室で他の代表等と共に待機したりあるいはしばしば知事のもとに赴いていたことから考えれば、何かの用事で一時第二応接室から廊下に出た際たまたま全日自労の組合員等が塩田を取囲んでいたところであつた旨の同被告人の弁解は一応信用でき、同被告人がその囲みの後方に行つたとしても、同所に踏みとどまつたのは極くわずかの時間であつたことが窺える。

してみると、被告人小川が右の如く囲みの後方に行つて前記のような発言をした時期に、被告人高橋や同橋村が果して判示のような具体的な暴行ないし脅迫行為をしていたかどうか不明であるし、また被告人小川としては、取囲みの状況を終始見ていたともいえないのであるから、同被告人が、被告人高橋、同橋村等が塩田に暴行、脅迫を加える意思を有していたことを認識しえたと断定するわけにもいかない。反面、被告人高橋、同橋村の側からみても、同被告人等自身としては、全日自労個有の応能性賃金の問題等につき、他の全日自労の組合員等と共に非常に興奮して塩田に抗議していたものであり格別被告人小川の協力を得てこれを行つていたものとは考えられないし、そもそも同被告人が囲みの後方に来ていたことすら認識していたかどうか極めて疑わしい。以上の諸点を総合して考えれば、同被告人が前記発言をした一事を捉えて直に被告人高橋、同橋村等との間で、共謀の上塩田に対し多衆の威力を示して暴行、脅迫を加えたとなすことは証拠上不十分であるといわざるをえない。

而して公訴事実第二について、被告人小川が有罪であることを認定するに足る証拠が他に存しないから、この部分については刑事訴訟法三三六条により、同被告人に対し主文において無罪の言渡しをする。

二、被告人高橋及び同橋村に対する公訴事実第三は、「被告人小川俊三、同佐藤陞、同小林俊太郎、同高橋茂及び同橋村昭一の五名は、二月一二日午前九時三〇分頃、前記知事公舎玄関において、前記組合員四、五〇名と共に、前記要求を貫徹すべく同知事に面会を要求したが、前記栗山拾太郎、武藤潔等が知事は予算査定で忙しくて面会できないから公舎に入らないで帰つてもらいたい旨申し向けたにも拘らず、前記組合員と共謀の上、強いて右両名外約二〇名の県当局側職員の制止を排除して、同公舎内に不法に侵入したものである。」というにあり、これに対し被告人高橋及び同橋村は、前夜帰宅が遅くなつたため、一二日朝は所定の時間におくれ同日午前一〇時過頃公舎についたところが、他の組合員等はすでに公舎内に入つていたので、被告人橋村は立入りを拒否されたということを知らずに公舎に入つたし、被告人高橋は公舎内には入らず公舎の裏口附近にいた旨弁解する。然し、証人武藤潔、同栗山拾太郎等の証言記載によれば被告人高橋も同日中に公舎内に立入つたことはこれを認めることができる。

ところで、被告人小川、同佐藤、同小林について住居侵入罪が成立するのは、前叙のとおり知事が組合員等の立入りを拒否したにも拘らずそのような事情を知りながら敢えて侵入したことによるものである。そこで、被告人高橋、同橋村が右の如く知事が立入りを拒否したということを認識した上で公舎内に立入つたものであるかにつき検討する。

先ず、公舎立入りの時点について前記武藤は当公判廷で、一二日に公舎に入つた状況について、被告人佐藤、同小林、浅野貞助、佐藤重雄等が押し合いの先頭附近にいたことは明確に証言しているが、被告人小川、同高橋、同橋村等については、「同被告人等はその後から続いて入つたか」と検察官に問われて初めて「あとからみんな入つてきた」旨莫然とした答えをしているだけ(記録四九〇丁裏)であり、殊に被告人橋村については、その後、「押し合いに加わつていたかどうかはつきりしない」旨自信のない証言をしている(記録六四〇丁)ことを考えれば、被告人高橋、同橋村が押し合いの当時公舎玄関附近にいた旨の同証人の証言記載はにわかに信用できない。次に、工藤証人は、被告人高橋が押し合いの際後の方にいた旨証言しているけれども、単にいたというだけで具体的にいかなる行動をとつたかについて特に印象に残つたことを示すような証言でない以上たやすく信用できないし、又前記栗山も一二日公舎内で被告人高橋の姿を見た旨証言してはいるが、これとても同被告人が押し合いをしている時から玄関附近にいたと述べているわけではない。右栗山は玄関での押し合いの際組合員のため外へ引張り出されたため再び勝手口から公舎内に入つて日本間附近で総務部長等と種々協議した上組合員等を避けてわざわざ隣家の垣根越しに警察へ向つたというのであるし、武藤の証言によれば、午前一〇時頃、栗山が警察へ行く前に退去命令書を壁にはらせるべく武藤に手渡している(記録四九二丁)ことが窺えることからしても、栗山が警察へ行つたのは組合員等が廊下に入つてしまつてから相当時間が経過した後であつたと考えられ、被告人高橋等が公舎に赴く途中、警察へ向う栗山と会つた旨の弁解も全く信用できないわけでもない以上、被告人高橋、同橋村等が公舎に到着したときはすでに他の組合員は公舎内に入り終り一応事態の収拾をみた後ではなかつたかという疑問が残るのである。而して右両被告人が押し合いの際玄関附近にいたということを認定しうる証拠は他に存しないのだとすると公舎立入りの時点について残る問題は一応事態の収拾を見た後公舎に立入つた両被告人の行為が尚住居侵入に該るかどうかである。然してこの点については栗山が警察から公舎に帰つた時には組合員は廊下にすわつているだけで特に騒いでいたわけでもなかつた(栗山の証言記録七九七丁裏)こと、最初に侵入するに際しては土足のままであつたにしても、その後も引続き土足のまま公舎内にとどまつていたという証拠もないこと、あるいは、玄関の扉がこわれていたとしても、すでに前夜片側の扉がこわれる程の混乱があつたのであるから同被告人等としては同日朝組合員等が扉をこわしたことを必ずしも知り得たわけでもないと思われること、同被告人等としては、前日長時間にわたり交渉が続いたのであるから、多数組合員が廊下に入つているのを見て知事が再び交渉に応じたものと思つたということもあながち不自然でもないこと、など考え併せると、押し合いが終つた後に公舎に到着した同被告人等において他の組合員等が前記のように知事の意思に反して公舎に侵入したという事情を認識しえたとたやすく断定するわけにもいかない。

即ち、右両被告人について、公舎内に立入つたという客観的事実は存するけれども、公舎の管理権者の意思に反して強いて公舎内に立入るという認識、つまり住居侵入の犯意の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により右両被告人に対し主文において無罪の言渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 三浦克已 渡部保夫 本郷元)

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